個人的な書類を整理していて、手放したいのに踏ん切りがつかない…としばらく足踏みしたのが、プログラミング学習の教材でした。
プログラミングは、妊娠前〜妊娠中に勉強していて、産後に続けようとしたけど諦めたものです。
勉強していて楽しかったのは確かだし、「練習として作っていたwebサービスを完成させたかった」という未練も少しありました。
でも、もう勉強しないと思う。でも捨てられない。なぜだ。
皆さんも、勉強しない教材をなかなか手放せない経験、あるのではないでしょうか?
理性では「捨てるべし」
やり切りたかったなあ、という気持ちはあるものの、もう以前ほどの時間はないし、脳の余裕も足りません。
勉強したいことも、ライティングに舵を切っています。
この先、もしプログラミングを学び直す事があったとしても、その頃には今持っている教材は、何年も前の古い情報になります。
改めて見直すことはせず、その時の新しい情報で学ぶはずです。
プログラミングの世界は日々進化します。
理性で考えれば、今持っている古い資料を取っておく理由は、全くないです。
感情は「取っておきたい」
しかしながら、感情は「全部とっておきたい」と未練を主張していました。
「ときめき」ではなく、未練です。
だって勉強し切っていないので、ときめきを感じるほど理解していないのです。
勉強の資料は、自分が頑張った記録ではあります。
のちのち見返せば、頑張ってたんだ、と思って気分が良くなるかもしれません。
でも、それだけです。
それだけなら捨てればいいじゃない? なんで捨てられないの?
ここを突破しないと、他の色々な書類も減らせない気がする、と思いました。
取っておく具体的な理由が言えないのは、血肉になっていないから
で、しばらく足元に山を作ったまま横目で見ていたんですが、
教材を捨てられないのは、結局自分の血肉になっていないからかも、と思いました。
学んだ内容を腹に落とし込んでいれば、もう少し具体的な基準で整理できる気がするんですよね。
他の勉強系の書類を整理していて、スムーズに「取っておく」の判断をした時、理由はたとえば次のようなものがありました。
- 明らかに役立つ・見返す
(例:性格統計学の資料。まさに実践中) - 何かを思い出すためのトリガーとして有用
(例:妊娠糖尿病の資料。次に妊娠する事があれば、食事内容や血糖測定の使い方を素早く思い出せる) - 問答無用でときめく
(例:大昔に小説を書いてたノートの一部。むしろ思い出品)
プログラミング学習の教材については、私はこのような理由が言えませんでした。
学びを得た上で手放そう
取っておく理由を自信を持って言えないのなら、それは腹落ちしてない、自分の中に取り込めていない資料です。
この先、再び本気で向き合う可能性がないならば、「合わなかった」「できなかった」という学びを得た上で、手放してよし。
本当にときめく部分があれば、それだけ思い出品としてでも取っておけばいい。
こう思ったら、分厚いプログラミングの教材を手放すことができました。
カリキュラムの目次だけ、参考になることもあろうかと取っておいたけど、これも年数が経ったらどうだろうな、って感じです。
「合わなかった」「できなかった」の学びを得て、手放す。
書類整理の極意が、少し掴めた気がします!